雨の中に立春大吉の光あり 高浜虚子

雨の中に立春大吉の光あり 高浜虚子

高浜 虚子(たかはま きょし)

(1874年〈明治7年〉2月22日 – 1959年〈昭和34年〉4月8日)
明治・大正・昭和の3代にわたる俳人・小説家。本名は高浜 清(たかはま きよし)。

『ホトトギス』の理念となる「客観写生」「花鳥諷詠」を提唱したことでも知られる。1893年(明治26年)、碧梧桐と共に京都の第三高等学校(現在の京都大学総合人間学部)に進学する。この当時の虚子と碧梧桐は非常に仲が良く、寝食を共にしその下宿を「虚桐庵」と名付けるほどだった。

俳句は伝統的な五七五調で詠まれるべきであると唱え、また、季語を重んじ平明で余韻があるべきだとし、客観写生を旨とすることを主張し、「守旧派」として碧梧桐と激しく対立した。『ホトトギス』からは飯田蛇笏、水原秋桜子、山口誓子、中村草田男、川端茅舎、松本たかしなどを輩出している。

立春とは、いつ、期間は?

立春(りっしゅん)は、二十四節気の第1番目。冬が極まり春の気配が立ち始める日で、『暦便覧』には「春の気立つを以って也」と記されています。冬至と春分の中間に当たり、昼夜の長短を基準に季節を区分する場合は、この日から立夏の前日までが春となります。
正月節(旧暦12月後半から1月前半)。期間としての意味もあり、この日から次の節気の雨水前日までが立春となります。立春の前の節気は大寒です。

2022年の二十四節気の計算結果(カシオの計算サイト)

カシオの計算サイトはこちらです。2022年の立春は2月4日です。

「立春大吉」とは‥読み方や意味

立春大吉は、「りっしゅんだいきち」と読みます。「立春大吉」とは、春先に蕾がしぜんと花開くように、天地自然の正しい神気をいただき、万民に福をもたらす縁起物で、除災招福(じょさいしょうふく)の意味があります。

私たちの命は、正しい生命秩序を維持する事により、終わりのない連続的な生成発展を遂げていきます(引用:出雲大社相模分祠)。「年」の生命は四季毎によみがえり、草花や樹木は後の世にいのちを残します。人もまた、親から子に継ぐことにより、いのちは子孫に受け継がれていきます。

ちなみに、「立春大吉」の文字は左右対称で縁起の良い文字とされ、裏からも立春大吉と読める事から鬼が門をくぐって振り返ると、くぐったはずの門に再び文字が見えることで、勘違いをして門の外へ出ていくと言われています。‥

立春大吉のお札(出雲大社相模分祠)‥貼る場所や時期

立春大吉は、2月4日「立春」の日に、玄関やお子様の勉強部屋、大切な部屋の入り口等に、外へ向けてのりや両面テープを用いて目より高い位置に貼り付けてます。新春の光を受けてつぼみが花開くように、次第に膨らんできます。立春大吉のお札を貼る時期は、毎年立春∼雨水までが良いとされています。
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石田三成の旗印「大一大万大吉」の読み方と意味

石田三成の旗印の一つが、「大一大万大吉」で、その読み方は、「だいいちだいまんだいきち」です。意味は、「一人が万人のため、万人が一人のために尽くす。そうして天下は太平になる」ということです。立春大吉という言葉を聞いたときに連想した言葉が、この大一大万大吉でした。

梓弓 春たちしより 年月の‥凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)

立春といえば、古今和歌集の中で詠まれている、凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)の歌が思い出されます。立春から矢を射るかのように速く月日が流れるように思えると詠ったものです。

 梓弓 春たちしより 年月の いるがごとくも 思ほゆるかな 凡河内躬恒

春立ちぬの意味とは

春立ちぬの意味ですが、完了の助動詞「ぬ」を従えているので「春がきた」ですね。

大寒の大々とした月よかな 小林一茶

北半球の温帯地域では一年中でもっとも寒い季節で、極寒に抗して身体を鍛えようとする種々の寒稽古(かんげいこ)が行われるのもこのころです。大寒が明けるといよいよ立春‥。この句は小林一茶の作。寒さに凍える中、極寒でだからこそ浮かび上がる自然現象が表現されています。身も引き締まる感じです。

大寒の大々とした月よかな 小林一茶

小林 一茶(こばやし いっさ)

(宝暦13年5月5日(1763年6月15日) – 文政10年11月19日(1828年1月5日))
日本の俳人。本名は小林弥太郎、一茶とは俳号である。庵号は二六庵、俳諧寺。

明和2年8月17日(1765年10月1日)、一茶がわずか3歳の時に母、くにが亡くなった。母の死後、一茶の養育は健在であった祖母かなが主に担った。後年、母を亡くした一茶が孤独であった少年時代のことを追憶して作った俳句が以下です。

 

我と来て遊べや親のない雀

 

大寒とはいつなのか?

大寒の日は1月20日ごろ‥過去には19日、20日、21日の日があった

大寒(だいかん)とは、二十四節気の第24番目で、いつと時期をいわれると、太陽黄経が300度のときで1月20日ごろという回答になります。期間としての意味もあり、1月20日~2月3日まで、つまり、この大寒の日から、次の節気の立春前日まででとなります。

寒さが最も厳しくなるころで、『暦便覧』では「冷ゆることの至りて甚だしきときなれば也」と説明されています。

ところで、なぜ、1月20日ごろなのでしょうか?

 地球の公転周期はおよそ365.2422日‥実は365日でないので‥

「1年=365日と思っている人も多いと思いますが、地球が太陽を回る運動=季節のめぐりこそが、真の1年です。1太陽年(地球が太陽を1周する時間)は暦の1年ではなく、およそ365.2422日=365日+6時間弱なのです」(国立天文台暦計算室)

なので、1年間に6時間程度多くなっている、よって、4年も経つと、4×6時間=24時間となって、1日程度余分になります。だから、4年に一度、この時間差を修正するために、うるう年が設定されているのです。1日増えた分を2月の最終日に追加することで(通常、28日までのところ、29日に設定する)修正するわけです。

「このため、立春点の通過時刻も変動します。つまり、1年ごとでは1太陽年365.2422日と1年365日の差(約6時間)ずつ遅くなる一方、うるう年には4年前より少し早くなる、というパターンです。

この流れによって、大寒が1月20日ごろになるのです。ちなみに、同じような理由で、春分の日も年よって違ってくるのです。

大寒の日、いつなのか100年先までの予定表

Wikiでは、グレゴリオ暦による17世紀から24世紀までの日本の大寒が表で示されています。ちなみに、2022年の大寒は1月20日。

365日からの超過分が毎年蓄積し、4年に一度閏年でリセットされる様子が分かります。

1801年から2052年までは1月20日、1月21日のいずれか。2017年からしばらく1月20日が続き、2053年からは1月19日が現れ(2020年、2053年が日の境界に近いため、不確かさが残る)、3104年からは1月22日が現れます。

※Wikiの表を一部抜粋

大寒の期間の七十二候

大寒の期間の七十二候は次のようになります。

初候
款冬華(ふきのはな さく) :蕗の薹(ふきのとう)が蕾を出す(日本)
鶏始乳(にわとり はじめて にゅうす) :鶏が卵を産み始める(中国)

次候
水沢腹堅(さわみず こおりつめる) :沢に氷が厚く張りつめる(日本)
鷙鳥厲疾(しちょう れいしつす) : 鷲・鷹などが空高く速く飛び始める(中国)

末候
鶏始乳(にわとり はじめて とやにつく) :鶏が卵を産み始める(日本)
水沢腹堅(すいたく あつく かたし) : 沢に氷が厚く張りつめる(中国)

 

 

 

大寒の候の読み方と意味(時期)

この文字そのものの読み方はそれほど難しくはないですね。
だいかん」と読みます。で、大寒の意味ですが、二十四節気の24番目、例年ですと1月20日ごろになります。冬至から約1月後という覚え方が簡単かもしれません。ちなみに、大寒には、期間としての意味もあり、1月20日~2月3日まで、つまり、1月20日(大寒)から、次の節気の立春前日(つまり、節分※)までの期間となります。

ちなみに、2021年は春の始まりである立春2月3日になり、その前日である節分が2月2日になりますが、節分が2月2日になるのは、なんと明治30年以来124年ぶりということです(2022年~2024年は2月3日、2025年に再び2月2日)。
節分とは、立春・立夏・立秋・立冬の前日を指します。つまり、季節をわける区分点を節分と呼ぶわけで、1年には4つの節分があったのですが、日本では立春を1年のはじまりとして特別なものと考えたために、立春の前日のみを「節分」と呼ぶようになったようです。

二十四節気の中では、私たちに馴染みの深く、かつ重要な夏至・冬至の二至春分・秋分の二分は併せて二至二分(にしにぶん)と呼ばれ、これに四立(しりゅう)の立春・立夏・立秋・立冬を併せて八節(はっせつ)と呼びます。

まとめと関連情報


大寒の候の読み方と意味(時期)と挨拶の例文など
節分の日

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