光琳の屏風に咲くや福寿草 夏目漱石 ‥意味や花言葉

光琳の屏風に咲くや福寿草 夏目漱石 ‥意味や花言葉

尾形光琳が屏風に描いた福寿草(フクジュソウ)の花を夏目漱石が詠んだものです。

 

光琳の屏風に咲くや福寿草 夏目漱石

 

福寿草の花言葉は「幸せを招く・永久の幸福」

黄色い花が印象的で春を告げる花としても知られ、新年の季語でもある、福寿草。そんな福寿草の花言葉は「幸せを招く・永久の幸福」です。


 

花ぞ時元日草やひらくらん 井原西鶴

暦生活で紹介されていた井原西鶴の句です。もう正月だから咲けと喝を入れられると、花としては咲かないわけにはいかないでしょう。

 

朝日さす弓師の店や福寿草 与謝蕪村

 

尾形 光琳(おがた こうりん)とは‥

万治元年〈1658年〉- 享保元年6月2日〈1716年7月20日〉
尾形光琳は、江戸時代中期を代表する画家のひとりである。京都の呉服商「雁金屋」の次男として生まれ、主に京都の富裕な町衆を顧客とし、王朝時代の古典を学びつつ、明快で装飾的な作品を残した。


その非凡な意匠感覚は「光琳模様」という言葉を生み、現代に至るまで日本の絵画、工芸、意匠などに与えた影響は大きい。画風は大和絵風を基調にしつつ、晩年には水墨画の作品もある。大画面の屏風のほか、香包、扇面、団扇などの小品も手掛け、手描きの小袖、蒔絵などの作品もある。また、実弟の尾形乾山の作った陶器に光琳が絵付けをするなど、その制作活動は多岐にわたっている。

琳派の代名詞ともいえる国宝「紅白梅図屏風」を描いたのが江戸時代中期の絵師・尾形光琳。中央の水流を隔て、紅白の梅が対峙する、デザイン性や画面構成の工夫に富んだ屏風は観るものを魅了します。


光琳と並び称される俵屋宗達は、生没年未詳の人物で、直接的な師弟関係はないのですが、光琳の絵には『風神雷神図』『槙楓図』のように宗達の原画に基づいて描かれたものがあることから、光琳が宗達に学ぶ意識のあったことは間違いありません。

 

赤穂浪士の討ち入りは元禄15年12月14日(西暦1703年1月30日)

赤穂浪士が討ち入った元禄15年12月14日は西暦1703年1月30日で、討ち入り当日は晴れていたそうですが、前日までの積雪が残っていたとのこと‥。

時に元禄十五年‥三波春夫さん 「元禄名槍譜・俵星玄蕃」の名セリフ

 

 

まとめと関連情報

尾形光琳が屏風に描いた福寿草(フクジュソウ)の花を夏目漱石が詠んだものです。

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元禄15年は西暦1703年です

 

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