「桐の花 」北原白秋(青空文庫)‥あかきときめき

「桐の花 」北原白秋(青空文庫)‥あかきときめき

北原 白秋(きたはら はくしゅう、1885年(明治18年)1月25日 – 1942年(昭和17年)11月2日(白秋忌))は、日本の詩人、童謡作家、歌人。本名は北原隆吉。

詩、童謡、短歌以外にも「ちゃっきり節」など新民謡の分野でも傑作を残している。生涯に数多くの詩歌を残し、今なお歌い継がれる童謡(あめふりゆりかごの歌)を数多く発表し活躍した時代は「白露時代」と呼ばれ、三木露風と並び評される近代日本を代表する詩人。

『桐の花』北原白秋の第一歌集

『桐の花』(きりのはな)は、北原白秋の第一歌集。1913年1月25日、東雲堂書店発行。本文494頁、歌449首、エッセイ6編。

歌集名「桐の花」は、巻頭の歌論風エッセイ「桐の花とカステラ」から採られたものである。1906年から1913年までの作品が収録されている。青春の官能、西欧風のロマンティシズムがその特徴。

はるすぎて うらわかぐさのなやみより‥意味とは

『桐の花』(きりのはな)に収録されている歌の中に、下記があり、その意味についての解説をネットで見つけた。

はるすぎて うらわかぐさのなやみより
もえいづるはなの あかきときめき

(意訳):
青春時代を過ぎて、若く初々しい、若草のような新妻になった、その女の悩みから芽を出して咲く赤い花のような、情熱的なドキドキする気持ち。なるほど‥。

「桐の花 」北原白秋(青空文庫)から抜粋

「桐の花 」北原白秋(青空文庫)から一部を抜粋した。

桐の花とカステラの時季となつた。私は何時も桐の花が咲くと冷めたい吹笛フルートの哀音を思ひ出す。

五月がきて東京の西洋料理店レストラントの階上にさはやかな夏帽子の淡青い麦稈のにほひが染みわたるころになると、妙にカステラが粉つぽく見えてくる。さうして若い客人のまへに食卓の上の薄いフラスコの水にちらつく桐の花の淡紫色とその暖味のある新しい黄色さとがよく調和して、晩春と初夏とのやはらかい気息のアレンヂメントをしみじみと感ぜしめる。私にはそのばさばさしてどこか手さはりの渋いカステラがかかる場合何より好ましく味はれるのである。粉つぽい新らしさ、タツチのフレツシユな印象、実際触さはつて見ても懐かしいではないか。同じ黄色な菓子でも飴のやうに滑すべつこいのはぬめぬめした油絵や水で洗ひあげたやうな水彩画と同様に近代人の繊細な感覚に快い反応を起しうる事は到底不可能である。

短歌は一箇の小さい緑の古宝玉である、古い悲哀時代のセンチメントの精エツキスである。古いけれども棄てがたい、その完成した美くしい形は東洋人の二千年来の悲哀のさまざまな追憶おもひでに依てたとへがたない悲しい光沢をつけられてゐる。その面には玉虫のやうな光やつつましい杏仁水のやうな匂乃至一絃琴や古い日本の笛のやうな素朴な Lied のリズムが動うごいてゐる。なつかしいではないか、若いロセツチが生命の家のよろこびを古いソンネツトの形式に寄せたやうに私も奔放自由なシムフオニーの新曲に自己の全感覚を響かすあとから、寥しい一絃の古琴を新らしい悲しい指さきでこころもちよく爪弾したところで少しも差支へはない筈だ。市井の俗人すらその忙がしい銀行事務の折々には一鉢のシネラリヤの花になにとはなきデリケエトな目ざしを送ることもあるではないか。

私はそんな風に短歌の匂に親しみたいのである。

以下、略。(続きはこちらから)

 

 

まとめと関連情報

北原 白秋(きたはら はくしゅう、1885年(明治18年)1月25日 – 1942年(昭和17年)11月2日(白秋忌))は、日本の詩人、童謡作家、歌人。本名は北原隆吉。

『桐の花』(きりのはな)は、北原白秋の第一歌集。1913年1月25日、東雲堂書店発行。本文494頁、歌449首、エッセイ6編。

あめふり歌詞ひらがな‥じゃのめで おむかえ♪
雪(ゆき)歌詞ひらがな‥雪やこんこ♪
揺籃のうた歌詞ひらがな‥カナリヤが歌うよ♪
「桐の花 」北原白秋(青空文庫)‥あかきときめき

 

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