日本人の忖度と惻隠の情とは(意味)

なみ

惻隠(そくいん)の情とは哀れに思う気持ち、
可哀想であると感じる心持ちのことで、中国の
古典である孟子の言葉から来ている四端のひとつです。

日本人の忖度と惻隠の情とは

惻隠の情とは(意味)

惻隠(そくいん)の情とは哀れに思う気持ち、
可哀想であると感じる心持ちのことで、中国の
古典である孟子の言葉から来ている四端のひとつです。
ちなみに、四端とは、

「惻隠」(他者を見ていたたまれなく思う心)
⇒ 仁の端
「羞悪」(不正や悪を憎む心)または「廉恥」(恥を知る心)
⇒ 義の端
「辞譲」(譲ってへりくだる心)
⇒ 礼の端
「是非」(正しいこととまちがっていることを判断する能力)
⇒ 智の端

孟子は言うのです。

「子供が井戸に落ちそうになっていれば、
危ないと思わず手を差し延べたり
助けに行こうとする」人として忍びずの気持ち・心は、
人間皆生まれ持ったものであり本来
そうした気持ちが備わっているはずだと

そして、この惻隠の情は、武士道の教えの中に
示されている、平たく言えば思い遣る心でもあります。

いま、日本人の惻隠の情が失われていると‥

心に太陽を持て そして、唇に歌を
楽観的になれ!
と、藤原雅彦さんは言っています。

 

忖度(そんたく)とは

一方、忖度(そんたく)とは、他人の心情を推し量ること、
また、推し量って相手に配慮することで、
「忖」「度」いずれの文字も
「はかる」の意味を含みます。

2017年に表面化した森友学園問題と
加計学園問題に際して用いられたことで、
流行語として広く知れ渡ることとなりました。

 

日本人の誇り (文春新書) [ 藤原正彦 ]

危機に立たされた日本は、今こそ「自立」と「誇り」を
回復するために何をすべきなのか?
『国家の品格』の著者による渾身の提言。

「個より公、金より徳、競争より和」を重んじる
日本国民の精神性は、文明史上、世界に冠たる尊きものだった。

しかし戦後日本は、その自信をなぜ失ったのか?

幕末の開国から昭和の敗戦に至る歴史を徹底検証し、

国難の時代を生きる日本人に誇りと自信を与える、

現代人必読の書。

 

男の覚悟 [ 安藤昇 ]

自叙伝的人間学、男の究極の力は「覚悟」にある。

[目次]

器量/安藤組/出自/遊郭/不良/満州/ナンパ/ケンカ/上官/矜持/
惻隠の情/餓狼/覚悟/顔/飽食/女/クルマ/談判/拉致/逃亡/
懲役/解散/転身/信・義・耐/言行一致

[著者情報]

安藤昇(アンドウノボル)
大正15(1926)年5月24日、東京都生まれ。
特攻隊から復員後、昭和20年代後半に安藤組を結成、渋谷を本拠とする。
33年、横井英樹襲撃事件で服役。出所した39年暮れに安藤組を解散。
40年、俳優として映画デビュー。主演作だけで58本を数える。
現在は作家、映画プロデューサーとして活躍中

藤原正彦、美子のぶらり歴史散歩 (文春文庫) [ 藤原正彦 ]

藤原正彦、美子のぶらり歴史散歩 (文春文庫) [ 藤原正彦 ]

街をゆっくり歩けば、いたるところで歴史の痕跡と出会う。
隣り合う東郷平八郎と山本五十六の墓、パリで出会い日本でも隣組だった
藤田嗣治と島崎藤村、今も残る引き出しのないマッカーサーの執務机…。
藤原教授夫妻と多磨霊園、番町、本郷、皇居周辺、護国寺、鎌倉、
諏訪を歩き、日本の歴史に出会うちょっと知的な散歩日和。

藤原正彦(フジワラマサヒコ)
数学者、作家。1943年旧満州生まれ。東京大学理学部数学科卒、
同大学院修士課程修了。理学博士。米英の大学、お茶の水女子大学で研究、
教育に携わった後、現在は同大学名誉教授。著書に『若き数学者のアメリカ』
(日本エッセイスト・クラブ賞)、『名著講義』(文藝春秋読者賞)など

忖度(そんたく)とは、使い方

忖度(そんたく)は、他人の心情を推し量ること、
また、推し量って相手に配慮することで、「忖」「度」いずれの文字も
「はかる」の意味を含みます。

2017年に表面化した森友学園問題と加計学園問題に際して用いられたことで、
流行語として広く知れ渡ることとなりました。

 

忖度(そんたく)の使い方・例文(安倍首相)

安倍首相は、「権限のある人間が知らなかったら
忖度する余地はない」という表現をしています。

忖度まんじゅう そんたく饅頭

2017年の流行語大賞を受賞、話題の忖度まんじゅう。
忖度とは、人の心をおしはかることという意味。
去年はほとんど知られていなかったワードが、一躍流行語大賞に
なるとは驚きです。ゴルフコンペの景品や賞品、お土産、上司や
お取引先のギフトなどにおすすめです。

チョコっと忖度 さくらチョコレート

大人気の忖度シリーズに、チョコっと忖度・さくらチョコレートが新登場。
企画は忖度まんじゅうで「2017ユーキャン新語・流行語大賞・年間大賞」を
受賞したヘソプロダクションです。プレゼントや景品におすすめです。
恋心や相手の気持ちを察する場面、社内、家庭内で「忖度」したり
されたりの日常のワンシーンにぜひご活用ください。

忖度ボールペン 流行語大賞受賞

2017年の流行語大賞を受賞した、忖度まんじゅうの会社から
忖度ボールペンが新登場。景品や賞品、お土産、上司やお取引先への
プレゼントにおすすめです。

 

武士道 (PHP文庫)新渡戸 稲造 (著)

戦前の国際連盟事務局次長を務め、思想家、教育家でもあった著者が、
日本人の道徳観の核心となっている「武士道」について、
西欧の哲学や騎士道と対比しつつ世界に向けて解説。英文復刻版。

キリスト教社会の、特にインテリ層に、武士道と云う倫理観を紹介した本です。
しかも西欧の哲学、歴史、科学、宗教など多様な知識を引合いに出して
説明しているのですから説得力があります。 世の中にはキリスト教徒と
野蛮人しかいないと思っている人たちがその野蛮な方に属する筈の人達の
未知の倫理観に触れ然も西欧の高潔な倫理観と比較されたのですから
その衝撃が想像されます。

現代の日本人の視点で読むと共感できる部分とちょっと誇張しすぎでは、
と思う部分があるようにも見えます。 引合いに出している例が難しすぎて
理解不能な部分もありました。通読するだけでは内容を充分咀嚼出来ないと思います。
それにしても明治時代にこれだけの見識と択一した語学力を持った
日本人がいたことには驚愕します。
西欧社会に日本の倫理観を伝えようとする気迫と情熱が伝わってきます。
武士道—現代語で読む最高の名著【中古】(JANコード:9784837915256)

 

孟子の四端説とは

『孟子』公孫丑章句上篇によれば、
孟子は、公孫丑上篇に記されている性善説の立場に立って
人の性が善であることを説き、続けて仁・義・礼・智の徳(四徳)を
誰もが持っている4つの心に根拠付けました。

その説くところによれば、人間には誰でも「四端(したん)」の心が存在する。
「四端」とは「四つの端緒、きざし」という意味で、それは、

「惻隠」(他者を見ていたたまれなく思う心)⇒ 仁の端
「羞悪」(不正や悪を憎む心)または「廉恥」(恥を知る心)⇒ 義の端
「辞譲」(譲ってへりくだる心)⇒ 礼の端
「是非」(正しいこととまちがっていることを判断する能力)⇒ 智の端

の4つの道徳感情である。
この四端を努力して拡充することによって、
それぞれが仁・義・礼・智という人間の4つの徳に到達するというものです。

たとえば、幼児が井戸に落ちそうなのをみれば、
どのような人であっても哀れみの心(惻隠の情、心)がおこってくる。
これは利害損得を越えた自然の感情であると。

したがって、人間は学んで努力することによって
自分の中にある「四端」をどんどん伸ばすべきであり、それによって
人間の善性は完全に発揮できるとし、誰であっても「聖人」と
呼ばれるような偉大な人物になりうる可能性が備わっていると
孟子は主張する。また、この四徳を身につけるなかで養われる
強い精神力が「浩然の気」であり、これを備え、
徳を実践しようとする理想的な人間を称して「大丈夫」と呼んだ。

 

述懐(頼 山陽)十有三春秋

述懐(頼 山陽)

十有三春秋
逝くものは水の如し
天地始終なく人生生死あり
いずくんぞ古人に類して
千載青史に列するを得んや

じゅうゆうさんしゅんじゅう
ゆくものはみずのごとし
てんちししゅうなくじんせいせいしあり
いずくんぞこじんにるいして
せんざいせいしにれっするをえんや

この世に生まれて13年
時流れ、人もうつろう
天地は永遠なるも、人には死あり
いかにして名をあげ
歴史に名を残そうか

頼 山陽

(安永9年12月27日(1781年1月21日) –
天保3年9月23日(1832年10月16日))

大坂生まれの江戸時代後期の歴史家、
思想家、漢詩人、文人。幼名は久太郎、
名は襄(のぼる)、字は子成。

主著に『日本外史』があり、これは幕末の
尊皇攘夷運動に影響を与え、日本史上の
ベストセラーとなった。

『日本外史』ー幕末のベストセラーを「超」現代語訳で読む

『日本外史』ー幕末のベストセラーを「超」現代語訳で読む
【電子書籍】[ 頼山陽 ]

『日本外史』ー幕末のベストセラーを「超」現代語訳で読む【電子書籍】[ 頼山陽 ]

風雲急を告げる幕末のニッポン。

ペリー来航を期に、泰平の眠りを覚まされ、
時代の大きなうねりに飲み込まれてしまう
のではないかと不安が増すなか、人々にこぞって
読まれたのが『日本外史』でした。

この本は、平安時代の源平争乱から徳川家康による
江戸幕府開闢までの「武士の歴史」を綴ったもので、
歴史上のさまざまな合戦の様子が、さながら
スポーツの実況中継のようにスピーディに、
ドラマティックに展開していきます。

各本文の最後には、「論賛」というタイトルで
頼山陽自身の尊王思想に基づいた解説が加えられ、
この本独特の風味を添えています。

これらが幕末の風潮とマッチし、爆発的な
人気を呼んだのでした。本書は、そんな幕末の
ベストセラー『日本外史』の中から、現代人に
とって最も興味深い部分を抜粋し、
楽しく読める現代文に訳したものです。

志士たちが大いに盛り上がり、
味わった痛快な気分を共有できる本です。

 

大石内蔵助良雄 辞世の句

大石内蔵助良雄 辞世の句

「あらたのし 思いは晴るる 身は捨つる 浮世の月にかか雲なし」

大石 良雄(おおいし よしたか)は、江戸時代前期の武士。
播磨国赤穂藩の筆頭家老。赤穂事件で名を上げ、これを題材とした
人形浄瑠璃・歌舞伎『仮名手本忠臣蔵』で有名となる。

「良雄」は諱で、通称(仮名)は「内蔵助」。
一般にはこの大石 内蔵助(おおいし くらのすけ)の名で広く知られています。

毎年、12月14日の討ち入りの日には、テレビで特集が組まれますが、
大高源吾と室井其角の「両国橋の別れ」でのやりとりも好きです。

「年の瀬や水の流れと人の身は明日待たるるその宝船」

討ち入りの日の夕方、大歳のすす払いの「すす竹」売りに身をやつした源吾は、
両国橋で、俳諧仲間の師匠「宝井其角」と偶然会います。

其角は、源吾の身なりを見て、その落ちぶれようが本当だと勘違いし、
もう合うこともあるまい、と自分の羽織を与えます。そして、最後に付け句を、と、
橋の上から隅田川の流れをを見ながら、「年の瀬や、水の流れと人のみは」と出します。

これに対し、源吾は、その夜が「吉良邸」への討ち入りですから、
「明日 またるる その宝船』と返すのです。

⇒ 年の瀬や水の流れと人の身は‥ 大高源吾(辞世の句)
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