花〜すべての人の心に花を〜歌詞‥川は流れて

花〜すべての人の心に花を〜歌詞‥川は流れて

花〜すべての人の心に花を〜(はな すべてのひとのこころにはなを)は、沖縄県出身の音楽家(歌手、作詞家、作曲家)、平和運動家、政治家である喜納昌吉の代表的な楽曲。オリジナルの曲名は「すべての人の心に花を」だが、レコード会社がつけた「花」という副題も浸透している。2006年、文化庁により日本の歌百選に選定されている。

 

こちらのサイトより引用


「すべての人の心に花を」というフレーズ

「すべての人の心に花を」というフレーズは1964年東京五輪のアナウンサーの実況がもとになっている。

1964年東京オリンピックの閉会式では、選手たちは各国入り乱れ、肩を組み、肩車をし、踊りを踊り、笑うものあり、泣くものあり、互いに祝福しあいながら入場行進を行った。そこには国境や人種といった人類の垣根を越えた「平和の祭典」の姿がたち現れていたが、テレビの中継でこの模様を見た喜納は涙がこみ上げる感動を覚えたという。

オリジナル・バージョンは、1980年に喜納昌吉&チャンプルーズの2枚目のアルバム『BLOOD LINE』に収録。シングル発売もされた。ここでは、喜納友子(昌吉の前妻)がボーカル、ゲストのライ・クーダーがギター、スライド・ギター、マンドリンを演奏。

日本国内はもちろん、台湾、タイ、ベトナム、アルゼンチンをはじめ世界60か国以上で、多数のアーティストにカバーされている。それらのカバーの中にはヒットしたものも多い。

タイでは1985年にバンド、カラワンがカバーしてヒットしたのをきっかけにアイドル歌手が相次ぎカバー、1987年には、マリ・バンドが8週連続ヒットチャート1位を独占する大ヒット。1991年のダヌポン・ケオカンのバージョンもヒット。1999年の読売新聞調べによると、全世界で3000万枚を売り上げたという。


年の瀬や水の流れと人の身は‥ 大高源吾

討ち入り当日の夕方、両国橋での其角とのやりとりで大高源吾が詠んだ句

年の瀬や、水の流れと人のみは
明日 またるる その宝船

川の流れ、水の流れ、日本人はこの流れに無常を感じるのでしょうか‥

奥の細道」の冒頭「月日は百代の過客にして、行き交ふ年もまた旅人なり」が連想されます。

昨日といひ今日と暮らしてあすか川‥春道列樹(はるみちつらき)

 

『古今集』 巻六、冬、三四一
年のはてによめる     春道列樹(はるみちつらき。生没年未詳。920年壱岐守。)
昨日といひ今日と暮らしてあすか川 流れて早き月日なりけり
(昨日はと言い今日はと言って暮らして明日は年が改まる、
飛鳥川の流れのように早い月日の流れであることだ。)

 

 

水流任急境常静 花落雖頻意自閑(菜根譚)

水流任急境常静 花落雖頻意自閑

すいりゅうきゅうにまかせて さかいつねにしずかなり
はな、おつることしきりなりといえども こころおのずからしずかなり

「水は激しく流れても、あたりはいつも静か。
花はせわしく散っても心はいつものどか」

この心境をいつも保つことができれば、何物にもとらわれることなく、
自由自在の人生が送れるだろう、という解説を吉田豊さんがされています。

行く川のながれは絶えずして‥方丈記:鴨長明

『方丈記』(ほうじょうき)は、鴨長明による鎌倉時代の随筆で、『徒然草』、『枕草子』とならぶ「古典日本三大随筆」に数えられます。隠棲文学の祖や、無常観の文学とも言われ、乱世をいかに生きるかという自伝的な人生論ともされます。

有名な冒頭の「ゆく河の流れは絶えずして、‥」の書き出しで移り行くもののはかなさを語った後、同時代の災厄についての記述が続き、後半は草庵での生活が語られています。

ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。


方丈記(鴨長明)の冒頭の書き出し(「行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。」)は、以下の論語を意識したものと言われています。

論語: 子罕第九;
子在川上曰、逝者如斯夫、不舎晝夜、
子、川の上(ほとり)に在りて曰わく、逝く者は斯くの如きか。昼夜を舎(や)めず。

現代語訳;
過ぎ去っていくものは、この水の流れと同じようなものだなあ、昼も夜も休まず過ぎ去っていく。

 

歳月人を待たず‥陶淵明「雑詩」

人生根もなくへたもない
道にさまよう塵あくた
時の流れに身をまかすだけ
しょせんこの身は常ならず

歳月(さいげつ)人(ひと)を待(ま)たず《陶淵明「雑詩」其一から》

年月は人の都合にかかわりなく、刻々と過ぎていき、少しもとどまらない。

陶淵明の漢詩「雑詩」、人生無根蔕 | ふるさと情報いろいろ (furusatoa.biz)

烏兎怱怱(うとそうそう)

あっという間に月日がたってしまうこと。「入社してから40年、烏兎怱怱の思いでいっぱいです」

瀬をはやみ岩にせかるる滝川の‥ 崇徳院

川の流れを人に例えた、百人一首77番目の恋の歌です。崇徳院は鳥羽天皇の第一王子。保元の乱(1156年)で失脚し、讃岐に流され不幸な晩年を過ごした人です。

瀬をはやみ岩にせかるる滝川のわれても末に逢はむとぞ思ふ

 

世の中は何か常なる明日香川 昨日の淵ぞ今日は瀬になる

世の中は何か常なる明日香川 昨日の淵ぞ 今日は瀬になる(古今集 読人不知)

この世の中でなにをいったい不変なものとなし得ようか。明日という名をもつ明日香川でさえ、昨日淵であったところが、今日は瀬となり、移ろいゆくのだから‥。
⇒ 文学に見る人と川のかかわりに関する調査研究 研究所報告13号 (rfc.or.jp)

まとめと関連情報

花〜すべての人の心に花を〜(はな すべてのひとのこころにはなを)は、沖縄県出身の音楽家(歌手、作詞家、作曲家)、平和運動家、政治家である喜納昌吉の代表的な楽曲。オリジナルの曲名は「すべての人の心に花を」だが、レコード会社がつけた「花」という副題も浸透している。2006年、文化庁により日本の歌百選に選定されている。

 


花〜すべての人の心に花を〜歌詞‥川は流れて

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