手のひらを太陽に歌詞‥ぼくらはみんな 生きている

手のひらを太陽に歌詞‥ぼくらはみんな 生きている

「手のひらを太陽に」(てのひらをたいように)は、やなせたかし作詞、いずみたく作曲の日本の童謡。1961年に制作され、翌1962年にNHK『みんなのうた』で放送された。日本の歌100選に選出されています。

1961年、NETの朝のニュースショーの構成をしていた作詞者のやなせたかしが、その番組内の今月の歌として、自身で作詞した「手のひらを太陽に」を知り合いのいずみたくに作曲してもらい発表したもので、歌は宮城まり子が歌った。

「手のひらを太陽に」歌詞

「手のひらを太陽に」の歌詞はこちらのサイトをご覧ください。

ぼくらはみんな 生きている
生きているから 歌うんだ
ぼくらはみんな 生きている
生きているから かなしいんだ

当時のやなせは仕事は順調だったものの、劇画の時代に付いて行けず、先行きに不安を感じていた。夜中、眠くならないように暖房を消して一人で仕事をしていて、筆がとまったときに電気スタンドで手を温めていると指の間がきれいに赤く見え、子供のころに懐中電灯で手を照らして真っ赤に見えて面白かったことを思い出した。

こんなにも落ち込んでいるのに血は元気に流れていると励まされたような気がして、歌詞の一節が思い浮かんだと述懐している。また、元々は童謡ではなくホームソングを作るつもりで書いたという。なお歌詞の中でアメンボが出てくるが、これは当初はナメクジであった。

1962年、 NHK『みんなのうた』で、宮城まり子とビクター少年合唱隊の歌唱、映像はやなせ自身制作のアニメーションで放送された。当時、歌は反響もなくヒットしなかったが、 1965年にボニージャックスが歌ってキングレコードから発売され、その年の紅白歌合戦で歌唱すると、反響を呼び広く知られるようになった。


やなせ たかし(本名:柳瀬 嵩)

1919年〈大正8年〉2月6日 – 2013年〈平成25年〉10月13日。
日本の漫画家・絵本作家・詩人・元大日本帝国陸軍軍人。有限会社やなせスタジオ社長。高知県出身(詳細は後述)。作曲家としてのペンネームは「ミッシェル・カマ」。

『アンパンマン』の生みの親として知られる。社団法人日本漫画家協会代表理事理事長(2000年5月 – 2012年6月)、社団法人日本漫画家協会代表理事会長(2012年6月 – 2013年10月)を歴任。


Anpanman (アンパンマン)

Anpanman (アンパンマン) is a Japanese children’s superhero picture book series written by Takashi Yanase, running from 1973 until the author’s death in 2013. The series has been adapted into an anime entitled Soreike! Anpanman (それいけ!アンパンマン, Let’s Go! Anpanman), which is one of the most popular anime series among young children in Japan. The series follows the adventures of Anpanman, a superhero with an anpan (a red bean paste filled pastry) for a head, who protects the world from an evil anthropomorphic germ named Baikinman.

「アンパンマンのマーチ」

「アンパンマンのマーチ」は、テレビアニメ『それいけ!アンパンマン』のオープニング主題歌である。作詞は『アンパンマン』の原作者でもあるやなせたかし、作曲は三木たかしによる。ドリーミングによって歌われ、デビューシングルとして発売された。




まとめと関連情報

「手のひらを太陽に」(てのひらをたいように)は、やなせたかし作詞、いずみたく作曲の日本の童謡。1961年に制作され、翌1962年にNHK『みんなのうた』で放送された。日本の歌100選に選出されています。


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