安岡正篤

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人は一つの自然である。 安岡正篤一日一言5月16日

自然訓 一、人は一つの自然である。われわれは自然の如く真実でなければならぬ。 一、自然はすこやか(健)である。われわれも常に怠ることなく努めよう。 一、自然は造化である。われわれもかたくな(固陋)にならず、...
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地蔵さんほど衆生に親しまれているものはない。安岡正篤一日一言5月15日

慈悲の菩薩 私は子供の時からお地蔵さんが好きであった。年をとった今日でも 旅の途次、ふと地蔵像を見かけると、足を停めて拝む。 地蔵さんは釈迦仏没して、弥勒仏のまだ世に出でたまわぬ所謂無仏時代に 現...
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道徳によってはじめて人間は存在する。安岡正篤一日一言5月14日

道徳の本義 道徳というものは、非常に誤解されておりますが、 その本義は、単なる動物的生活ではなくて、意識・精神・霊魂を持った 高級な人間の生命活動を言うのであって、道徳によってはじめて 人間は存在し、生活...
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一国の文明は、その母の文明に本づく 安岡正篤一日一言5月13日

母 明治初期に、儒者としてもクリスチャンとしても、 又教育家文学者として典型的な君子人、中村敬宇に 「母」と題する名文がある。 「一母有り。四才児を携えて一牧師に問うて曰く、 子を教うるは何...
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それは通の為にあらざるなり。安岡正篤一日一言5月12日

学問の目的 それは通の為にあらざるなり。窮して困しまず、憂えて 意衰えざるが為あり。禍福終始を知って惑わざるが為あり。 「荀子」 通とは通達するということです。学問というものは決して ...
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学問を為す要は、いかに喜び、いかに怒り、安岡正篤一日一言5月11日

喜怒哀楽を学ぶ よく人は学問とか修業とかいう事を間違って、 喜怒哀楽をしなくなることだと誤解するが、決してそうではない。 それでは学問・修業というものは非人間的なものになってしまう。 学問を為す要...
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本当の学問というものは人体・人格をつくる。安岡正篤一日一言5月10日 

三日書を読まざれば(2) 本当の学問というものは、血となって身体中を循環し、 人体・人格をつくる。したがって、それを怠れば自ら面相・言語も 卑しくなってくる。それが本当の学問であり、東洋哲学の醍...
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三日書を読まざれば則ち理義胸中に交わらず。安岡正篤一日一言5月9日

三日書を読まざれば(1) 黄山谷に次のような名高い語があります。 「士大夫三日書を読まざれば則ち理義胸中に交わらず。便ち覚ゆ、 面目・憎むべく語言・味なきを」 書は聖賢の書。義は義理も同じで、...
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器量と辞令 安岡正篤一日一言5月8日

器量と辞令 「あれは器量人だ」という言葉が通俗用語になって おりますが、これは人間の具体的存在を 器という字で表現しているもので、人間の大きさ、 深さを量(はか)る言葉として用いている言葉であります。 ...
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人間の価値  安岡正篤一日一言5月7日

人間の価値 ずるいことをやったり、人を押しのけたりして、地位や財産をつくるのも 人間の能力、知能の一つであります。それを使っていろいろなことができる。 できるけれども、そんなことができても、これは人間として...