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漱石が来て虚子が来て大晦日 子規

漱石が来て虚子が来て大晦日(大三十日) 子規

子規は漱石は同い年の1867年生まれ。子規、漱石、虚子の関係がわかる、とても興味深い句です。落語が好きだった漱石子規は、東大予備門の頃に出会いました。

子規:(1867年10月14日〈慶応3年9月17日〉 – 1902年〈明治35年〉9月19日)
漱石:(1867年2月9日〈慶応3年1月5日〉 – 1916年〈大正5年〉12月9日)

2017年には、子規・漱石が生誕150年を迎えていたのですね‥。

大晦日こゝに生きとし生けるもの 高浜虚子

大晦日定めなき世のさだめ哉 井原西鶴

大年や我死所の鐘もなる 一茶

大三十日愚なり元日猶愚也 正岡子規

鶴おりて日こそ多きに大晦日 其角

 

大晦日(おおみそか)とは

大晦日(おおみそか)は、1年の最後の日。天保暦(旧暦)など日本の太陰太陽暦では12月30日、または12月29日。現在のグレゴリオ暦(新暦)では12月31日。翌日は新年(1月1日)である。大晦(おおつごもり)ともいい、年神を迎えることにちなむ行事が行われます。

旧暦では毎月の最終日を晦日(みそか)と呼び、その晦日のうち、年内で最後の晦日、つまり12月(または閏12月)の晦日を大晦日といったのです。新暦では「大三十一日」ですが、旧暦では「大三十日(おおみそか)」となります。

「漱石」の由来、「枕石漱流」と漱石枕流

いまさらですが‥

夏目漱石のことを調べてみると、漱石はやっぱり学生時代の正岡子規との交流がいちばん楽しかったようです。正岡子規が居なかったら、そもそも夏目漱石は誕生していないわけで、「漱石」という名前はもともとは正岡子規が使おうとしていた作家名で、夏目漱石がその名前を子規からもらうことにした。

「漱石」という名前の由来は「石に枕し流れに漱ぐ」という
無為自然の暮らしのことを表現した「枕石漱流」から来ています。
https://center.akarinohon.com/?p=1029

石に枕し流れに漱ぐ(いしにまくらしながれにくちすすぐ) の意味とは‥

俗世間から遠ざかって山林に隠れ住み、
自由な生活をする。《「蜀志」彭羕伝から》

石に漱ぎ流れに枕す(いしにくちすすぎながれにまくらす) の意味とは‥

負け惜しみの強いことのたとえ。
また、屁 (へ) 理屈をつけて言い逃れることのたとえ。

晋 (しん) の孫楚 (そんそ) が
「石に枕し流れに漱ぐ」というべきところを
「石に漱ぎ流れに枕す」と誤り、「石に漱ぐ」とは歯を磨くこと、
「流れに枕す」とは耳を洗うことだとこじつけたという、
「晋書」孫楚伝の故事による。漱石枕流 (そうせきちんりゅう) 。

ノボさん 小説正岡子規と夏目漱石(伊集院静)


伊予・松山から上京した正岡常規(子規)は旧藩主久松家の給費生として東京大学予備門に進学すると、アメリカから伝わった「べーすぼーる」に熱中する。
同時に文芸に専念するべく「七草集」の執筆に取り組んでいる頃、同級生で秀才の誉れ高い夏目金之助と落語で意気投合するが、間もなく血を吐いてしまう。

まとめと関連情報

子規は漱石は同い年の1867年生まれ。子規、漱石、虚子の関係がわかる、とても興味深い句です。落語が好きだった漱石子規は、東大予備門の頃に出会いました。


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