新島八重について

新島 八重(にいじま やえ、弘化2年11月3日(1845年12月1日) - 昭和7年(1932年)6月14日)は、幕末から昭和初期の日本女性。同志社創立者の新島襄の妻として知られる。旧姓は「山本」。一部の手紙などでは「八重子」と署名してあることから、史料によっては「新島八重子」と書かれる場合もある。

新島八重の生涯

会津藩の砲術師範であった山本権八・さく夫妻の子として誕生[2]。戊辰戦争時には断髪・男装し家芸であった砲術を以て奉仕し、若松城籠城戦で自らもスペンサー銃を持って奮戦した。 戊辰戦争が始まる前、但馬出石藩出身で藩校日新館の教授をつとめていた川﨑尚之助と結婚したが会津若松城籠城戦を前に離婚、一緒に立て籠もったが戦の最中に尚之助は行方不明になった。明治4年(1871年)、京都府顧問となっていた実兄・山本覚馬を頼って上洛する。翌年、兄の推薦により京都女紅場(後の府立第一高女)の権舎長・教道試補となる。この女紅場に茶道教授として勤務していたのが13代千宗室(円能斎)の母で、これがきっかけで茶道に親しむようになる。

兄の元に出入りしていた新島襄と知り合う。明治8年(1875年)10月に新島襄と婚約。当時、新島のキリスト教主義の学校建設を阻止しようと町の僧侶・神官たちが連日のように抗議集会を開き、京都府知事・文部省に嘆願書を提出するなどし圧力をかけていた為、京都府は婚約直後、突如女紅場を解雇した[3]。翌明治9年(1876年)1月3日に結婚。京都初の日本人同士のキリスト教式の結婚式であった[1]。女紅場に勤務していたときの経験を生かし、同志社の運営に助言を与えた。欧米流のレディファーストが身に付いていた襄と、男勝りの性格だった八重は似合いの夫婦であったという。夫をかしずかせ、車にも夫より先に乗る姿を見て世間から悪妻と評される[1]。同志社英学校において戊辰戦争の際、会津藩を攻めた薩摩長州出身学生を冷遇したり、問題を起こした兄嫁を義兄や襄が許しても家から追い出したりと、西洋の感覚を身に着けながらも、武士の誇りと道徳にこだわり、周囲と軋轢を生んだ[1]。同志社英学校の学生達の演説会に夫婦で出席した際は、当時学生であった徳富蘇峰に演壇より「頭と足は西洋、胴体は日本という鵺のような女性がいる」と強く非難された[1]。これに対し八重は全く動じなかったと伝わっている[1]。しかし夫婦仲はとても良くこの時期夫の襄はアメリカの友人への手紙で「彼女は見た目は決して美しくはありません。ただ、生き方がハンサムなのです。私にはそれで十分です。」と書いている[1]。

明治23年(1890年)、襄は病気のため急逝。襄の臨終の床で徳富蘇峰に過去の非礼を詫びられ、和解した。


2人の間に子供はおらず、更にこの時の新島家には襄以外に男子がいなかったため養子を迎えたがこの養子とは疎遠であったという。さらにその後の同志社を支えた襄の門人たちとも性格的にそりが合わず、同志社とも次第に疎遠になっていったという。この孤独な状況を支えたのが女紅場時代に知りあった円能斎であり、その後、円能斎直門の茶道家として茶道教授の資格を取得。茶名「新島宗竹」を授かり、以後は京都に女性向けの茶道教室を開いて自活し裏千家流を広めることに貢献した。

日清戦争、日露戦争で篤志看護婦となった。功績により昭和3年(1928年)、昭和天皇の即位大礼の際に銀杯を下賜される。その4年後、寺町丸太町上ルの自邸(現・新島旧邸)にて死去。86歳没。葬儀は「同志社社葬」として4000人もの参列者があった。墓所は襄の隣、京都市左京区鹿ケ谷若王子山町の京都市営若王子墓地内同志社墓地。

【送料無料】新島八重 [ 久野潤 ]

【送料無料】新島八重 [ 久野潤 ]
価格:840円(税込、送料別)







新島襄の妻-新島八重

妻の八重とは互いに尊重しあい夫婦仲がとても良かった。槇村正直に援助を求めに行った際、どんな女性と結婚したいかと聞かれ、「夫が東を向けと言ったら、3年も東を向いているような女性は嫌です」と答える[2]。その際、槇村は自分の元に女学校の補助金を増やすようたびたび直訴に訪れる女性、山本八重を紹介。その時は立ち消えになるが、後日八重の兄山本覚馬の家で偶然、井戸に腰をかけ裁縫をしている八重に目をとめ、その危なげな姿に心引かれる[2]。八重はその男勝りの性格でたびたび周囲と確執を生むが、襄はそれを優しく諌めながら見守っていた。アメリカの友人への手紙で「彼女は見た目は決して美しくはありません。ただ、生き方がハンサムなのです。私にはそれで十分です。」と書いている。



【送料無料】新島八重と幕末 [ 由良弥生 ]

【送料無料】新島八重と幕末 [ 由良弥生 ]
価格:1,680円(税込、送料別)





八重の桜の見どころ:ならぬことはならぬ(1月6日放送)

1868(慶応4)年8月、砲撃をあびる会津・鶴ヶ城内で、スペンサー銃を構え戦う若き女性銃士がいた。山本八重(綾瀬はるか)、後の新島八重である。  戦からさかのぼること17年前。5歳の八重(鈴木梨央)は男勝りで負けん気が強く、父・権八(松重豊)や母・佐久(風吹ジュン)も手をやいていた。そんな八重が慕ってやまないのが、兄・覚馬(西島秀俊)だった。銃で華麗に的を撃ち抜く兄の姿を見た八重は、砲術に夢中になっていく。

 

 



NHK大河ドラマ:八重の桜の見どころ


ならぬことはならぬ:1月6日放送のあらすじ

1868(慶応4)年8月、砲撃をあびる会津・鶴ヶ城内で、スペンサー銃を構え戦う若き女性銃士がいた。山本八重(綾瀬はるか)、後の新島八重である。  戦からさかのぼること17年前。5歳の八重(鈴木梨央)は男勝りで負けん気が強く、父・権八(松重豊)や母・佐久(風吹ジュン)も手をやいていた。そんな八重が慕ってやまないのが、兄・覚馬(西島秀俊)だった。銃で華麗に的を撃ち抜く兄の姿を見た八重は、砲術に夢中になっていく。

やむにやまれぬ心:1月13日放送のあらすじ

 

蹴散らして前へ:1月20日放送のあらすじ

 

八重の桜の見どころ:相互リンク

八重の桜の見どころ:関連リンク


TOPPAGE  TOP 
RSS2.0