格言・名言
祇園精舎の鐘の声‥
すべては必然か?
良いこと、悪いこと、なにもかも必然なのかもしれない。
それに、良いとか悪いとかいっても、
宇宙的に考えると、そんな判断基準はそもそも
ないのかもしれない。
人間が勝手にそうした基準を設定しただけでね。
祇園精舎は、中インドのシュラーヴァスティー(舎衛城)にあった寺院で、
釈迦が説法を行ったとされる場所で、
天竺五精舎(釈迦在世にあった5つの寺院)の一つとのこと。
天竺か~、孫悟空の世界か~
祇園精舎の鐘の声
諸行無常の響きあり
沙羅双樹の花の色
盛者必衰の理をあらわす
おごれる人も久しからず
ただ春の世の夢のごとし
たけき者も遂には滅びぬ
偏に風の前の塵に同じ
ちなみに、
天竺(てんじく)とはインドの旧名。西遊記などでゴールとされている
天竺とはこのことである。
現在のインドに相当すると言っても、昔の呼称なので
正確に対応するわけではない。漠然と南アジアを指すと
言うのが良いのかもしれない。
さあ、今週は、津路クリニックへ行くかな
ファイト!!
四十にして惑わず。
四十にして惑わず、いわゆる、不惑の
内容を確認しようと調べてみた。
やはり、論語の言葉は重いね~。
子曰、吾十有五而志於学。三十而立。四十而不惑。五十而知天命。六十而耳順。七十而従心所欲、不踰矩*1。
子曰(のたまわ)く、
吾れ十有五(じゅうゆうご)にして学に志ざす。
三十にして立つ。
四十にして惑わず。
五十にして天命を知る。
六十にして耳順(したが)う。
七十にして心の欲する所に従って、矩(のり)を踰(こ)えず。
十五歳=志学(しがく)
三十歳=而立(じりつ)
四十歳=不惑(ふわく)
五十歳=??
六十歳=耳順(じじゅん)
七十歳=従心(じゅうしん)
ケセラセラでTake it easy
「Whatever Will Be, Will Be (Que Sera, Sera)」
When I was just a little girl
I asked my mother what will be
Will I be pretty, will I be rich
here's what she said to me
Que sera, sera
Whatever will be, will be
The future's not ours to see
Que sera, sera
What will be, will be
When I grew up and fell in love
I asked my sweetheart
What lies ahead
Will we have rainbows day after day
Here's what my sweetheart said
Que sera, sera
Whatever will be, will be
The future's not ours to see
Que sera, sera
What will be, will be
Now I have children of my own
Htey asked their mother, what will be
Will I be handdsome, will I be rich
I tell them tenderly
Que sera, sera
Whatever will be, will be
The future's not ours to see
Que sera, sera
What will be, will be
Que sera, sera
ちなみに、ケセラセラは、スペイン語のフレーズで
「なるようになる」の意味だそうです。
古代の兵法家、孫子のことば
「己を知り、敵を知らば、百戦危うからずや」
学ぶ事は真似る事
実るほど頭を垂れる稲穂かな
「してみせて 言って聞かせて させてみる」
ふと、以前に読んだ上杉鷹山の本の言葉と思い出した。
今、その本が手元にないので、正確なところがわからないが、
ネットで調べてみると、似たような言葉に、
「やってみせ 言って聞かせ させてみて 褒めてやらねば 人は動かじ」
という太平洋戦争時の連合艦隊司令官であった、山本五十六の言葉が
でてきた。最後の人は動かじも上杉鷹山の言葉と思っていたが、
勘違いかな?
過保護ではいけないが、ゼロから出発する人間には、
このぐらいの懐の深い愛情が必要と感じている、今日このごろである。
ばかやろうというのは簡単であって、
難しいのは、いかに、うまく教えるかということ。